第2回 ブラック企業大賞2013 ノミネート企業 発表!
6月17日、記者会見を行ない、下記のとおり「第2回ブラック企業大賞2013」のノミネート企業8社を発表いたしました。ウェブからの投票もあわせて開始いたしますので、ぜひご参加ください。
1.ワタミフードサービス株式会社
居酒屋チェーンや介護事業を全国展開している同社では、2008 年6 月に正社員だった森美菜さん(当時26 歳)が、厚生労働省が定める過労死ライン(月80 時間の残業)をはるかに上回る月141 時間の残業を強いられ、わずか入社2 カ月で精神疾患と過労自殺に追い込まれた。昨年2 月に労災認定されたあとも、同社は責任を認めることなく、創業者である渡辺美樹会長は遺族からの求めに応じず、いまだに面談も謝罪も拒否している。 亡くなった森美菜さんは連続7 日間の深夜労働、午後3 時から午前3 時半の閉店まで12 時間働かされた。閉店後も遠く離れた社宅には始発電車まで帰ることもできず、休憩室のない店舗で待つしかなかった。ほかにも休憩時間が取れない、休日出勤、強制的なボランティア活動、早朝研修、給料から天引きで買わされた渡辺会長らの著書の感想文提出などで疲労は蓄積した。残業に関する労使協定(36 協定)も店長が指名したアルバイトに署名させるという違法行為が労働基準監督署から是正指導を受けた。
遺族と支援する労働組合は、森美菜さんの労働実態と原因の解明のために経営者ら責任ある立場の人との面談を同社に求め続けているが、同社は顧問弁護士のみとの面談を除いて応じる姿勢を見せていない。逆に同社は昨年11 月、遺族を相手取って同社が支払うべき損害賠償金の確定を趣旨とした民事調停を申し立てた。
報道によると、同社が全社員に配布している「理念集」という冊子には「365 日24 時間死ぬまで働け」と書かれているという(『週刊文春』2013 年6 月13 日号)。
2.株式会社クロスカンパニー
人気女優の宮崎あおいをCM起用したメインブランド “Earth Music&Ecology”で若い女性に人気の企業であり、また、店舗従業員も含めて、全員が正社員として雇用されているとして一部で「女性社員の働きやすい企業」として宣伝されている企業だが、その労務管理には、大きな問題があった。
2011年2月9日、立川労働基準監督署は、入社1年目の女性正社員(2009年10月死亡)が極度の過労・ストレスにより死亡したとして労働災害として認定している。この女性社員は、大学を卒業した年である2009年4月にクロスカンパニーに入社。同年9月に都内の店舗の店舗責任者(店長)に任命された。店長就任以来、日々の販売の他に、シフト・販売促進プランの入力、レイアウト変更、メールによる売り上げ日報・報告書の作成、本社のある岡山での会議出席などに追われた。スタッフが欠勤連絡のために、深夜0時や早朝5時に携帯電話に送ってくるメールにも自宅で対応しなければならなかった。勤務シフトは通常3~5人で組まれていたが、相次いで3人退職した後も会社は人員を補充しなかった。売り上げ目標達成に対する上司からの追及は厳しく、マネージャーから店長に「売上げ未達成なのによく帰れるわねぇ」という内容のメールが送られてきた。亡くなった女性のノートには、本社のある岡山での会議で「売り上げがとれなければ給料も休みも与えない」旨の指示があったことが記されている。この女性は、働いても働いても売り上げ目標が達成できないので、2009年9月には、売上額を上げるために自分で計5万円以上も自社商品を購入していた。彼女の2009年9月の時間外労働は、労働基準監督署の認定した時間だけでも少
なくとも111時間以上だった。そして、極度の疲労・ストレスの中、2009年10月に亡くなった。
3.株式会社ベネッセコーポレーション
2009年、人事を担当する人財部のなかに「人財部付」という部署が新設された。ここに配属された女性社員は、「あなたたちには問題があります。受け入れ先を獲得する活動をしなさい」と上司から指示された。電話に出ないように指示され、名刺も持たされなかった。社内ネットにもアクセスさせなかった。自分を受け入れてくれる部署をさがす「社内就職活動」をしながら単純作業をするように命じられていた。また、他部署をまわって雑用をもらってくることも命じられた。仕事の大半は、段ボール箱の片づけや懐中電灯へのテプラ貼りなどの単純作業だった。「再教育」は名ばかりで、単純作業をやらせることによって、社内には仕事がなく、退職以外には方法がないと思い込ませる場として設置されていた。ベネッセ側は、「『人財部付』は従業員の配属先を決めるまでの一時的な配属先。退職を勧めるための場ではない」と主張していた。
2012年8月、東京地裁立川支部判決(中山典子裁判官)は、人財部付が「実質的な退職勧奨の場となっていた疑いが強く、違法な制度」と判断し、この部署への異動も「人事権の裁量の範囲を逸脱したもの」として「無効」を言い渡している。
4.株式会社サン・チャレンジ(ステーキのくいしんぼ)
2010年11月8日午前1時ごろ、株式会社サン・チャレンジ(本社東京都渋谷区 上田英貴代表取締役)が運営するレストランチェーン「ステーキのくいしんぼ」渋谷センター街店の店長だった男性(当時24歳)が、店舗が入居するビルの非常階段の踊り場で首吊り自殺した。男性の自殺は、2012年3月に渋谷労基署が過労によるものと認定。同署が認定したところでは、男性が亡くなる前8ヶ月間(4月1日から11月7日)の残業時間は最も少ない月で162時間30分。最も多い月で、227時間30分に達していた。またこの間に男性が取得できた休日はわずか2日のみであり、亡くなった当日まで連続90日勤務していた。
これほどの長時間労働をしながら、男性は名ばかりの「管理監督者」として扱われ、残業代、ボーナスも支給されていなかった。また、やはり渋谷労基署が事実として認定した内容によれば、男性上司から「ひどい嫌がらせやいじめ、または暴行」を受けていた。「業務の指導の範疇を超えた、人格否定または罵倒する発言」が執拗にあったほか、「時には頭を殴るなどの暴行も行われていた」という。
5.株式会社 王将フードサービス(餃子の王将)
2013 年2 月5 日、「餃子の王将」で働いている25 歳の男性が、王将フードサービスを相手取り損害賠償を求める裁判を起こした。男性ははじめアルバイトとして王将で働き始め、10 ヶ月後に正社員として登用される。京都府内の店舗で調理などの業務を担当していたが、長時間労働のためにうつ病を発症し、11 年4 月から休職を余儀無くされている。うつ病を発症する直前の6 ヶ月の時間外労働は平均して月に約135 時間だった。男性のうつ病は、労災として認定されている。餃子の王将では労働時間管理をコンピュータで行っており、1 日10 時間を超える労働時間は入力できない仕組みになっている。このように、組織的に残業代の不払いを行っていたことも明らかとなった。原告の男性は、マスコミに対して「何やと思ってんねやろう、人を」とコメントしている。また、王将フードサービスは、過酷な新人研修についても度々報じられている。逃げ場の無い合宿形式で行われる研修では、「2 メートルでも瞬間移動」などの指導に始まり、「王将五訓」の暗唱や王将体操などをさせられる。一連の研修は、「人権」の考え方を「ペスト菌」のようなものだと主張する染谷和巳氏の経営するアイウィルが請け負っており、パワハラとみなされてもおかしくない状況が延々と続く。
6.西濃運輸株式会社
岐阜県に本社を構え、「カンガルーの西濃」として知られる運送大手の西濃運輸。神奈川県内の支店で事務職をしていた23 歳の男性が、2010 年12 月31 日にキャンプ場で硫化水素を発生させて自殺した。「毎日12 時間以上働かせ、サービス残業を強要した」などと遺書に綴っていた。
男性は2007 年3 月に入社し、荷物管理やクレーム対応などを担当していたが、タイムカードを実際の帰宅より早い時間に押させられて恒常的にサービス残業を強制されてうつ病を発症。亡くなった月の残業時間は98 時間だった。
西濃運輸の過労死事件が特に悪質な点は、2009 年11 月以降、三度にわたり男性が退職を申し出ているにもかかわらず、会社側がそれを拒否していたところにある。一度ならず三度にまでわたり退職を拒否し、一年以上仕事に縛り続けたのであるが、もし退職できていれば、男性は命を落とさなくて済んだかもしれない。
その後、労働基準監督署で彼の死は労働災害として認定されたが、遺族に対する真摯な反省などもないため、男性の両親は2012 年12 月8 日に同社に対して慰謝料や時間外労働の未払い賃金など約8100万円の損害賠償を求める裁判を横浜地裁に提訴している。報道によれば、男性の母親は、「会社側はサービス残業の実態を認めず、反省していない」「改善して墓前で謝ってほしい」などと話している。
7.株式会社東急ハンズ
生活雑貨の大手量販店として有名な「東急ハンズ」では、バレンタインデー商戦の裏で30 歳の男性が命を落としている。男性は、1997 年に東急ハンズに入社し、1999 年から心斎橋店(大阪市中央区)の台所用品売り場を担当するようになった。亡くなる直前には、チームリーダーを務め、7000 点の商品の仕入れから販売までを管理しながらアシスタント3 名の指導も担当していた。亡くなる直前の2 ヶ月間はバレンタイン商戦などの繁忙期で、時間外労働は平均して月に約90 時間を数えた。そして、2004 年3 月、帰宅後に「しんどい、もう限界や」と話した後、心臓に異常をきたして就寝中に突然死した。
2013 年3 月13 日、神戸地裁で遺族が東急ハンズに対して損害賠償を求めた訴訟の判決が下り、東急ハンズは約7800 万円の支払いを命じられる。長井浩一裁判長はは、長時間労働からくる睡眠不足で心身が不調をきたしていたことにくわえて上司から怒鳴られるなどの精神的ストレスがあったことを指摘し、男性の死を過労死と認めた。また、「残業は指示していない」と主張する会社に対して、「会社側が設定した残業制限時間では、こなせない仕事量になっていたのが実情。カウントされない不払残業が構造的に行われていた」、「会社は業務軽減などの対策をとらずに単に残業の規制をしただけ」だと評価し、安全配慮義務違反を認めている。
8.国立大学法人東北大学
2007年12月、東北大学薬学部助手の男性(当時24歳)が「新しい駒を探して下さい」との遺書を遺し、研究室から投身自殺した。
同大大学院薬学研究科博士課程に在籍していた男性は07年6月、「人手不足」との理由で指導教授から請われ退学し、助手に就任。当初の話では学位取得のための研究を優先できるはずが、実験機材の修理や実習指導に忙殺され、自殺直前2ヶ月の時間外労働は104時間、97時間だった。また07年10月からは指導教授の指示により、生殖機能異常などの副作用がある抗がん剤の実験に従事。排気も十分にできない環境で、ほぼ一人だけでの実験を強いられ、友人達に「もう子どもはできない」と漏らしていたという。このような環境にもかかわらず指導教授は、「仕事が遅い。他の子を採用すれば良かった」などと男性を叱責。自殺前にはうつ病を発症していたと見られている。12年3月に宮城県労働局が「業務上の心理的負荷が強い」として過労自殺と認定。12年12月には、遺族が大学側に安全配慮義務違反があったとして、仙台地裁に約1億円の損害賠償を求める訴えを起こしている。
さらに東北大学では12年1月にも、工学部准教授の別の男性(当時48歳)が自殺している。この准教授は、室温でリチウム高速イオン伝導を示す水素化物の開発に世界で初めて成功するなど、学会で注目を集めていたが、11年3月の東日本大震災で研究室が全壊。再開を目指し、授業と並行して国内外に93日出張するなど奔走したものの、ようやくメドがついた12年1月、大学側から「2年以内の研究室閉鎖」を一方的に告げられた。心のバランスを崩した彼は、そのわずか半月後に自ら命を絶った。
男性の死後、遺族は労災を申請し、2012年10月に「過重労働の恣意的強制があった」と認定された。